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こんな生き方は間違っている

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病気になってしまって
前向きに生きるのが難しい
生きる目的であったり
役割であったり
元気な時は思いつき
比較的前向きに生きる事ができるが
病状が悪化すると
全てが困難になってしまう
それが永遠と繰り返されるものだから
自分がこうして生きながらえているのも
奇跡に思える
だけど奇跡という言葉にできないほど
毎日必死で
人や社会に恐怖しながら生きている
生き長らえてきたというニュアンスがぴったりする

薬の副作用で
激しいアカシジア、ジストニアに陥ってしまった時は
身体からくる恐怖だった
あの死ぬかもしれない
という経験は
断薬させ
主体的に生きる気持ちにさせてくれた
このまま死ぬかもしれない
それが人や社会に対する恐怖を和らげた

なのに・・・・
今は死ぬことを忘れてしまい
生きる事に恐怖してしまう
経験は所詮記憶なんだと思う
結局、感覚そのものを忘れてしまう
無鉄砲な強さも今はない
自分が弱い分
頭を下げ
思考も何もかも社会に順応するために
必死だ
社会と自己のすり合わせが出来ない分
いつも悲鳴をあげている
体と心が離れていく感覚がある
こんな生き方は絶対間違っている




健常性を求めてダメになる

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仕事を休むタイミングでブログを更新している
精神的に追い込まれた時ほど
こうやって書く作業で
何とか精神を落ち着かせている
自分の中で普通なんだろうと思っていたが
視野狭窄などの現象があると
ああやっぱ病気なんだなぁと思う
日常生活の上で
健常性を追い求めてしまうからか
自分が病気であることをどうしても受け入れることが出来ない自分がいる
すれ違う人たちの煌びやかさに圧倒され
ああ自分もあの中に紛れたいという気持ちになる
でも待っているのは
挫折で厳しい現実が自分を攻め立てる
ああ僕はやっぱ精神で障害者なんだなぁという気持ち
その気持ちを受け入れていないとなると
やはりこう病状が露呈してくる
遂には「消えたい」「死にたい」という気持ちになる
この言葉を深く探ると
物理的に消えたいという訳ではなく
社会から消えたいという意味合いで
日常的なルーティンから逃げたいという気持ちが表されている
やはりどこかおかしい
日常に潜む何かがおかしい
それで逃げたいという衝動に駆り立てられているのだと思う
自分がこうして健常性を求めたことが「おかしい」のであって
病気であることを隠したり 見ないようにしたから
ここまで追い込まれるハメになったと思う
煌びやかな健常性を求め
ありのままの自分を見失うとダメになってしまう
病気でも障害者でも
自分は自分なんだという気持ちを忘れたからダメになってしまった
そう振り返った
日常を生き抜く上で自分がどうなのか どうあるべきなのか考えていく必要性がある


トラウマに向き合う

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ブログを書くのを辞めてしまうと
頭の中にある事をどう表現したらいいかわからなくなる
ブログは日常的に書くのが
一番ベターなのかなぁと思った

ブログがなかなか書けなくなったのは
病状に左右されていた訳でなく
トラウマに対するワークサンプルをこなしていて
ほとんどの時間を読書に費やしていた
ヨーガもはじめ
自分が自分を病気にしてしまった因果関係を探っていた

幼少期に受けた酷いイジメや
親から川へ突き落とされた事など
なんとなく現実なのか夢なのか アヤフヤだった
中一の時に聾唖の人を道案内した際
その人から突然暴力を受けた
この事象は新鮮でとても新しいトラウマだったので
多分現実であったんだと思う
知り合いの関係機関に頼んで
この聾唖の人を探している
それで何か解決するとは思わないが
対面する事でリカバリーに繋がると思う


悲惨な過去を糧にしたい

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母の命日が過ぎ
流れるように過ぎていく時間に
焦っている
生活介護の仕事はまだやれているが
仕事が中々定着しない

どうして仕事が出来ないのだろうと
自分の特性に書かれている本を手に取るが
納得のいく答えが見つからない
自己分析の一環で
自分の中にある自己否定をどんどん探っていくと
PTSD、トラウマが関与しているのでは・・・という考えに行き着いた

わらをつかむような気持ちで
再度書店にてPTSDに関する本を探す
ベッセル・ヴァン・デア・コークの
「身体はトラウマを記録する」の評判が良かったので
手に取るが
自分が知りたかった 自分の不具合についてちゃんと明記されていた
病状が一旦引いても
情動的な問題が残っているのは
単に自分が発達障害の側面があるからではなく
過去に経験した事象が
大きく作用している事に気付かされた
精神障害を持っているなら
それを誘発した出来事があって当然だが
その事自体頭になかった
過去は自分にとってあまり重要ではなく
今、未来が大切だと思っていた

自分の不可解な思考や情動は
過去から汚染された
ちゃんと理由づけが出来る事象だという事がわかった
過去を見ずに
無視し続けた結果が
精神疾患を引き寄せた

過去と対峙して
それから自分の糧にしたい




他者が自分をどう思っているのか 常に考えている

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台風が直撃し
その威力からか水道が止まってしまった
ライフラインが危険になっても
他者が自分をどう思っているのか
くだらない事を延々と考えている
風が強く
物理的な生命の危険が迫っても
他者の事を考えている

他者に攻撃されるような不吉な事を考えれば
身体が緊張し
汗が止まらない
自分に起きている問題を解決しようと
自分以外の他人を演じて
他者に認められようとするが
問題は解決される事なく
自己嫌悪だけが残る

自分は果たして
自分が幸せになれるために
何かしら努力しようとしていたか
ずっと他者優先で生きてきた
他者の都合のいい人間になろうとした

このきっかけは母だ
病弱だった母にとって都合の良い子供を自分は演じていた
母にとって都合がよければ 元気になってくれるのではないか
あながちその考えは適切で
母は自分が成人するまでは 家族を養い続け生き続けてくれた
母が生きながらえてくれるよう
その願いは通じたが
代わりに
自分が自分では無くなってしまった

残ったのは本来の自分ではなく
他人にすり変わった自分だった

本来自分が味わうべき
苦労や快楽は
無視し続け
他人にすり変わった自分との不協和音に苦しめられていた
自分が何をしたいのか
自分が何を幸せとするのか
他者にすり変わった自分がわかるはずもない
ただそこにあるのは
他者に対する恐怖でしかない
ここからどう自分が自分として向き合うのは
難しい作業にも思えてくる






まだ病気に支配されている

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気分は下向から一転し
上向きになってきている
その折
普通の自分になれたと思って
何でもかんでも
やろうとする
それが返って
疲労とストレスを誘発し
また下がるのは
いつものパターンだ

今辛い環境に置かれているこそ
自分を見つめ直すことが出来る
この現状に対して
自分がどうアプローチしていくのか
今はそういう過程にあると思う
それがリカバリーになるのかわからない

人として生きる事の喜びと辛さは
まだ遠く
自分が向かう道筋を
まだ病気に支配されている




旧盆にて

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旧盆という風習になれない自分がいる
亡くなった人が現世に戻ってくるというような
すごく曖昧な認識をしている
この期間
自分の頭をふとよぎるのは
やはり母の事で
命日と同様に
母の事を思い出す

母は僕が幼少期の時に
ガンで余命宣告を受けた
その後
手術を行い
余命僅かと言われていたが
僕が成人するまで
頑張って生きながらえてくれた
生きてくれただけではなく
教職について
ストレスフルな現場で一家を支えるために
身を呈してくれた

僕は幼少期の時より
母が病弱で
何かにつけては
死ぬのではないか
とビクビクしていた
なので家庭の中では
従順な子供のフリをして
真面目に 真面目と思われるように生きてきた
家族との会話も
自己主張はせず
何か反発するような事をすれば
母がいなくなるのではないかとビクビクしていた
高校に入って
挫折して高校デビューをするまでは
子供として
摸倣となるような
あくまでも
努力家を演じるような人になってしまった

社会に出て
真面目に
努力して
人に従順なつもりだったが
自己出張が出来ない分
仕事が出来ず
それ以上に不幸せだった
学業から離れると
他者から孤立してしまった
その折病的になるのは
しょうがないと思う

母を襲った病気は
母だけではなく
結果 僕を精神を蝕む事となってしまった


うまく仕事をこなす事が出来ない理由を狭まれれば
僕は前述した流れで
仕事が出来ません
とは言うに言えない
原因や理由を求める職場、事業所のやり方は
なんとなく
嫌悪してしまう

人は人に触れられたくない
核となる物語を抱えている
それが問題を作ったとしても
話すか話さないかは
話す相手との関係性があってのものだと思う

出来ない理由を話せと言うのは
野暮ではないかと思う

話せないのなら
話せないなりに
違う所で
頑張るしかない





辞めると伝える

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まだ鬱々と続いている
週初めに
仕事を辞めますと上司に伝え
その折
代表と話す事となった
自分でも
今の精神状態がこんなにも続くとは思ってもいなかった
状態が悪いと伝え
休日も頂いた
新しい職場について3、4ヶ月
本当にあっけなかった
大抵の事は
寝ればなんとかなったのだが
どうにもならない
仕事を辞めて
当分は引きこもりたい


自分は障害者だからという言い訳

カテゴリー

自分の事を理解してほしい
自分の障害について配慮してほしいと働いてきた
責任が問われる場面では
自分が障害者だから
精神だから
という言い訳をずっとしてきた

利用者主体のサービスに努めるという職場の理念に
毎日脅かされる
前述したように自分主体で生きていたからだ
理念に従事している職員を見ては
自分の小ささを自覚する
そんな自分ができる仕事はあまりにもお粗末で
周囲のスタッフをイラつかせているように思えてきた

存分に甘えて仕事をしてきた自分は
仕事もロクに覚えず
また何度もミスをするため
次第に優しかったスタッフも
仕事がバタバタし始めると
睨むような眼差しをしてくる

周囲のスピードについていけず
挙句の果てに自分を配慮してほしい
自分はこういう病気なんだと
また周囲に甘えるように伝える

今の職場に入社する際
”支援を学びたい”と面接官に力説したが
実際のところは
自分を見てほしい
自分を理解してほしいだった
自分主体であまりにも身勝手だったと思う

色々考えるようになり
挙句の果てには
病状がぶり返し
自責や強迫概念が再発した

あまりにも身勝手すぎた人生の天罰だったのかもしれない




生活介護について

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新しい職場についてまだ伝えてなかった
現在働いている所は
生活介護という障害福祉サービスを行なっている
以前はB型という就労系に属しており
一般就労が難しい方達の支援に当たっていた
生活介護の場合 自立生活が難しい事がほとんどで
飲食、排泄、移動に介助が必要となってくる
全然以前と流れが違い、支援員の意識の仕方も違ってくる
なぜ生活介護に就職したか?と聞かれれば
自分でもあまり定かではない
単に以前勤めていた職場から離れたかったという理由が大きい
辞めなければ
壊れてしまう
それが多分、生活介護を就職した理由だったと思う
中にはナースがつききりじゃないと危険な方も利用している
そうなってくると今は逃げ出した前の職場に戻りたいという気持ちも出てきてしまった
自分が壊れてしまうよりも
相手を怪我させてしまい責められる方が怖い
多分自分はそういう頭をしていると思う